徳川 家宣(とくがわ いえのぶ、寛文2年4月25日 (旧暦) 4月25日(1662年6月11日) - 正徳 (日本) 正徳2年10月14日 (旧暦) 10月14日(1712年11月12日))は、江戸幕府第6代征夷大将軍 将軍。在職 宝永6年 - 正徳2年(1709年 - 1712年)。甲府城主徳川綱重(甲府宰相)の長男、母はお保良の方(長昌院)。正室は近衛基熙の娘の天英院 熙子。子に徳川家継ほか。第3代将軍徳川家光の孫に当たる。幼名虎松。初名は綱豊(つなとよ)。
父が正室を娶る直前の19歳の時に身分の低い26歳の女中に生ませた子であったため、世間をはばかって家臣の新見正信に預けられ、新見左近と名乗った。9歳のとき他の男子に恵まれなかった綱重の世嗣として呼び戻され元服して4代将軍・徳川家綱の偏諱を受け「綱豊」と名乗り、父の死後19歳で家督を継承し、祖母・順性院(祖父・家光の側室で父・綱重の生母)に4代将軍・家綱の次の将軍になるために育てられた。
更新日時:2006-09-27T15:06:07+09:00
Wikipedia日本語版「徳川家宣」より