松平 親氏(まつだいら ちかうじ、永仁6年(1298年)? - 正平16年/康安元年(1361年)?、生没年は異説もある)は、室町時代初期、14世紀後半頃の三河国の武将で、江戸時代に作成された系譜において松平氏・徳川氏の始祖とされている人物である。
系譜によると、親氏は清和源氏の新田氏の支族で、南北朝時代 (日本) 南北朝時代の争乱で南朝方について没落した世良田氏の一族の世良田有親(得川有親)の子とされている。有親は関東地方 関東で鎌倉公方の軍勢に敗れ、親氏は追捕を避けるために相模国の時宗総本山清浄光寺に入って出家し、徳阿弥(とくあみ)と称したとされる。徳阿弥は諸国を流浪して、三河国加茂郡 (三河国) 加茂郡松平郷に流れ着き、同地の領主である松平信重(松平太郎左衛門在原信重)の客人となった。松平信重は徳阿弥の和歌に通じた教養と武勇を評価して婿養子としたので、徳阿弥は還俗して松平太郎左衛門在原親氏(まつだいら・たろうざえもん・ありはら・の・ちかうじ)と名乗ったという。
更新日時:2006-06-01T21:28:46+09:00
Wikipedia日本語版「松平親氏」より