足利氏

足利氏(あしかがうじ)は、清和源氏の一族の河内源氏の流れを汲み、室町時代には嫡流が足利将軍家として天下人となった。
ほかに藤原秀郷の子孫の足利氏 (藤原姓) 足利氏(藤原姓足利氏)がある。
平安時代に河内源氏の棟梁、源義家(八幡太郎義家)の三男源義国(足利式部大夫)は下野国足利荘(栃木県足利市)を領有、子孫は足利氏を称する。新田氏とは同祖の関係である。
義国の次男・源義康(足利義康)は鳥羽天皇 鳥羽上皇の北面武士となり、保元の乱においても平清盛・源義朝と共に戦う。藤原季範の娘(実は季範長男藤原範忠 範忠の娘=源頼朝の母の姪)を妻にしている。その子足利義兼は1180年の源頼朝挙兵に参加して、治承・寿永の乱、奥州合戦などに参加し、頼朝の側近として鎌倉幕府の有力御家人としての地位を得、源氏一門=御門葉として源氏将軍家に次ぐ地位にあった。

更新日時:2006-09-07T15:15:29+09:00
Wikipedia日本語版「足利氏」より