足利直冬(あしかがただふゆ、嘉暦2年(1327年)? - 応永7年(1400年)?)は、南北朝時代 (日本) 南北朝時代の武将である。室町幕府将軍足利尊氏の妾腹の子で、母は出自不明の越前局と伝えられる。異母兄弟に足利義詮、足利基氏。妻や、足利冬氏 冬氏ほか数人の子が存在したと言われている。幼名は新熊野殿。法名は慈恩寺玉渓道昭。
実父である足利尊氏に認知されず、幼少時は相模国鎌倉の東勝寺(神奈川県鎌倉市)において喝食となる。1345年頃には還俗して上洛、京都では玄恵法印に紹介され叔父の足利直義の養子となり、時期不明だが直義に一字を与えられて直冬と名乗る。その後も数年は父の尊氏との対面は許されずに認知されていなかったと言われる。48年には初陣を行い、紀伊国 紀伊など各地で南朝 (日本) 南朝勢力と戦い戦功をあげて帰還する。
更新日時:2006-09-16T17:18:39+09:00
Wikipedia日本語版「足利直冬」より