足利直義

従来、源頼朝像とされてきたが、近年、直義像とする説が提示され有力となっている。
足利 直義(あしかが ただよし、徳治元年(1306年) - 文和元年/正平7年2月26日(1352年3月12日))は、南北朝時代 (日本) 南北朝時代の武将である。父は足利貞氏、母は上杉清子。室町幕府初代征夷大将軍 将軍、足利尊氏の同母弟。尊氏の庶子足利直冬の養父。正室は渋川貞頼の娘。法名、恵源。室町幕府開幕後、下御所と尊称された。
当初、鎌倉幕府執権北条高時より一字を受け高国と名乗るが、後に忠義から直義に改名する。1333年(元弘3年/正慶2年)、後醍醐天皇が配流先の隠岐島を脱出して鎌倉幕府打倒の兵を挙げると、兄の尊氏とともにこれに味方し六波羅探題攻めに参加する。

更新日時:2006-09-21T04:01:36+09:00
Wikipedia日本語版「足利直義」より