足利 義助(あしかが よしすけ、1541年(天文 (元号) 天文10年) - 1592年(文禄元年))は、堺公方足利義維の次男・14代将軍足利義栄の弟(一説には義栄の子)。2代目平島公方。
父義維が、堺から阿波に逃れてから生まれた子であり、兄義栄が将軍になるために上洛した際も、平島に留まったとされる。長宗我部元親らの四国統一もあり、後ろ盾であった三好一族も力を失っていき領地はわずか3000貫あまりとなる。その後、織田信長によって、第15代将軍足利義昭が放逐された際、上洛しようとしたが既にその力も世の支持もなく、蜂須賀家政の阿波入りに至っては、権威を取り除くためもあり、100石扶持まで落とされ同地で没した。
更新日時:2006-03-22T23:49:44+09:00
Wikipedia日本語版「足利義助」より