足利義嗣

足利義嗣(あしかがよしつぐ 応永元年(1394年) - 応永25年1月24日 (旧暦) 1月24日(1418年3月1日))は室町時代の武将である。3代征夷大将軍 将軍足利義満の次男で、母は摂津能秀の娘(春日局)。異母兄弟に4代将軍足利義持、6代将軍となる足利義教ほか。
義嗣が生まれた年、父義満は兄義持に将軍職を譲った。義嗣は、嫡男以外は出家させる慣例に従って梶井門跡に入室したが、義満は1408年(応永15年)に家の定めを破って義嗣を還俗させた。義嗣は義満に愛され、北山亭に住む。
同年3月4日、元服前に異例の任官をして従五位下に叙せられる。ついで後小松天皇が鹿苑寺 北山第に行幸した際に天盃を下賜される。行幸中の3月24日、正五位下左馬頭に叙任、さらに同月28日には従四位下に叙せられ、翌日、還幸のお礼言上に参内して左近衛中将に進む。同年4月25日、宮中で内大臣が加冠する親王並の形式で元服して、従三位参議にのぼった。

更新日時:2006-06-21T11:41:05+09:00
Wikipedia日本語版「足利義嗣」より