足利義持(あしかがよしもち、至徳 (日本) 至徳3年/元中3年2月12日 (旧暦) 2月12日(1386年3月12日)-応永35年1月18日 (旧暦) 1月18日(1428年2月3日))は室町幕府4代将軍である。父は足利義満、母は安芸法眼の娘藤原慶子(ふじわらのよしこ)。兄弟に足利義教、足利義嗣ほか。正室は日野資康の娘日野栄子。子は足利義量。
義満との父子関係は険悪であったとされ、1394年(応永元)に9歳で義満より将軍職を譲られるが、太政大臣となった義満の在世中は実権がなかった。1406年(応永13)には側近の山科兄弟の事で叱責された記録が残っており、1408年(応永13)、義満死去直前に後小松天皇が北山第に御成りになった際も、義満が寵愛した異母弟の義嗣は天皇に謁見したが、義持自身は京都警備番をさせられる等、偏愛にも苦しんでいたようである。
更新日時:2006-08-18T05:52:11+09:00
Wikipedia日本語版「足利義持」より