足利 義政(あしかが よしまさ、永享8年1月2日 (旧暦) 1月2日(1436年1月20日) - 延徳2年1月7日 (旧暦) 1月7日(1490年1月27日))は、室町時代中期、室町幕府8代征夷大将軍である。父は6代将軍の足利義教で、母は日野重光の娘で義教の側室である日野重子。乳母は今参局。正室に日野富子。兄弟に足利義視、足利義勝。異母弟に足利政知。幼名は三寅、三春。室町幕府の全盛期を築いた3代将軍足利義満の孫にあたる。
幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らはもっぱら数奇の道を探求した文化人であった。
1441年に父の義教が嘉吉の乱で赤松満祐に殺され、1443年(嘉吉3)には兄で7代将軍の足利義勝が死去した。義政は管領の畠山持国などの後見を得て、8歳で将軍職に選出され、元服を迎えた1449年に正式に就任した。義政は祖父・義満、父・義教の政策を復活させようとするが、三魔と呼ばれる乳母の今参局・烏丸資任・有馬持家、将軍家の執事伊勢貞親や正室・日野富子の実家の日野家等の側近がかわりがわり政治に介入し、実権のない傀儡(かいらい)であったと言われ、当初の政治に対する熱意を急速に失っていったようだ。
更新日時:2006-08-31T15:44:08+09:00
Wikipedia日本語版「足利義政」より