足利 義栄(あしかが よしひで、天文 (元号) 天文7年(1538年) - 永禄11年10月8日 (旧暦) 10月8日(1568年10月28日))は室町幕府の第14代征夷大将軍 将軍。没した月日は9月13日 (旧暦) 9月13日、9月30日 (旧暦) 9月30日とする説もある。堺公方足利義維の子で、母は大内義隆の娘。足利義澄の孫にあたる。弟に足利義助。
1568年2月に松永久秀、三好義継に擁立され第14代将軍に就任したが、9月に織田信長が足利義昭を擁して入京した為阿波国に逃れた。最期は腫れ物により29歳で没したとされる。
法名:光徳院玉山
墓所:徳島県阿南市西光寺
※日付=旧暦
1566年(永禄9)12月28日、従五位下に叙す。
1567年(永禄10)1月5日、左馬頭に任官
更新日時:2006-09-20T07:05:34+09:00
Wikipedia日本語版「足利義栄」より