足利 義維(あしかが よしつな、1509年(永正6年) - 1573年11月2日(天正元年10月8日 (旧暦) 10月8日)、義賢・義維・義冬と改名)は、室町幕府11代将軍足利義澄の次男・10代将軍足利義稙の養子・14代将軍足利義栄の父。堺公方・平島公方。母は斯波氏。法名は、慶林院実山道詮。
阿波国守護細川之持の庇護の元、成長する。
1527年、桂川の戦いで三好元長・細川晴元らと、兄の12代将軍足利義晴を擁する細川高国を打ち破り近江国に放逐し、堺市 堺に留まったため、堺公方と呼ばれるようになる。
1532年、後見人の三好元長が細川晴元により自害に追い込まれると、阿波国の天竜寺の荘園平島荘に引き上げた。
更新日時:2006-06-05T09:15:18+09:00
Wikipedia日本語版「足利義維」より